2006年11月12日 (日)

どっちもドッチ

僕が働いているのは美術業界ってやつで、卸業が主たる仕事だから画家と直接やりとりをすることが多い。今、この世の中で、しかも美術館とか百貨店で開催されるような有料催事みたいなビジネスは別として、エンドユーザーに販売するという事が目的の場合、あなたが描いた絵なら何だって売れまっせ、みたいな人気作家は正直いないに等しい。そうすると、僕ら卸業ってのは、販売会社、画廊、百貨店からデータを取るわけである。例えば作家Aの場合、どんな絵柄なら売れるかってのを聞くってわけ。それを量産してもらう。需要性の高いものを供給する、これはビジネスとして当たり前のことだ、と主張するうちの会社のO君。僕はこれは半分正しいけど半分間違っていると思っている。

こういう事やってると画家がつぶれるのである。そもそも僕らが画家を知る前に画家は絵を描いていて、自分のスタイルを創り出していて、その絵を見て僕らは気に入って買うんだから、僕らの意見なんて大きなお世話。大体画家にしろ音楽家にしろこういう人たちってのは、ただ絵がうまいから、ただ音感が鋭いからこの世界に進むのではなく、通常とるコミュニケーションでは自分を相手に伝えきれない、これらを何らかの形にして世の人に訴えたい、そして自分が創り出したものを通して更に深いコミュニケーションを取っていきたい、つうか取っていかないと死んじゃう位のテンションの人が、全員じゃないけど多い(と信じたい)のだ。だから前述したみたいにお前はこれだけ描いとけば売れるからって言われてその通りにしていくと作家のクリエイティヴィティはなくなる、モチベーションもなくなる、やがて売れなくなるわけである。だから作家の描きたいように描かせる。それを売るのが僕らの仕事だと、最近急に考えを180度改めたうちの会社のO君。僕はこれ半分正しいけど半分は間違っていると思っている。

まず、僕らのアンテナにキャッチされる圏内で活動している作家は要は描いて食って生きたいのである。ということはある程度魂を売る覚悟があるということである。その時そんな自覚してなかったとしても後に必要になる。描いて食って行くためには、僕らのニーズに答える必要があるのである。じゃなければもっと趣味、ないしは小さいサークルで細々と活動していけばいいのである。それも大いにアリである。僕らのニーズに基づいてただ作品を量産し続けるとやり続けていると作家としては死んでいく。だって表現したいものってのは年を追うごとに変わっていくわけであるから。同じとこにいつまでもいられないわけである。でも大胆な変化ってのは、特に日本人は嫌う。つうことは結局バランスである。世間のニーズに答えつつ、新たに表現したいものをその作品加えていく、そうやって徐々に客を教育していくのである。これって想像するだけでとってもしんどい作業に思えるが、こういう職業の人はしんどいのはもう必然だと思う。それでも果敢に表現していくタフさが必要なのである。

これって音楽でも言えるわけで、例えば桑田圭祐とか、ミスチルとか見てると上記の事をきちっとやってるなぁと思うわけである。すごく尊敬する。個人的に、あくまで個人的にだよ?僕は特に好きなわけでない。両アーティストともシングル位しか知らない。僕が愛してやまないアーティストは上記の方々とは違うわけだが、アーティストはこうあるべきだと思わせてくれる。有名な話だと思うんだけど、かつてシュガーベイブというすげえかっこいいバンドやっていた山下達郎が、ライブ中に石投げられたりして、こりゃ駄目だ、日本のリスナーはまだ僕らの音楽についてこれてないと実感し、彼はそこで腐ることなく、自らのラジオ番組で海外の優れたアーティストを紹介したというらしいが、それって素晴らしい。

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